公務員を2回辞めた男の転職日記

公務員(市役所職員)を2度辞めた男が、転職活動を通して感じたことや市役所の実情について記します。

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私が公務員を2回辞めた理由は④~災害対応編~

 

poguru-shiyakusyo.hatenablog.com

↑前回の記事です。

 

私が公務員を辞めようと思ったきっかけの一つとして災害対応があります。

 

その年は、台風による大規模水害が発生し、災害対応が行われました。市役所職員は災害が起こると担当部署関係なく動員がかかります。

 

私は

①川の氾濫を防ぐための土嚢積み

②未避難者への声掛け

③避難所の対応

 

の順に担当しました。②から③までの間は1日ほど空きましたが、ほとんど休む時間はなく疲弊したのを覚えています。

 

まず、※土嚢積みを行うために、川沿いの住宅地に向かいます。

※土嚢とは、簡単に言うと土を入れた袋のことで、川が氾濫しないように川沿いに設置します。

 

災害時には、消防・警察・市職員と様々な立場の人が対応にあたります。市役所職員も寄せ集めの集団なので、現場の指揮系統もめちゃくちゃ。とりあえず各々がやれることを自分で考えてするしかありません。

 

そんな中作業をしていると

早くこっちもやりなさいよ!遅いわね!

あそこの家はコンクリート造りだから放っておいても大丈夫!うちの周りを優先的にやりなさいよ!!!

と怒号が響きます。声の主たちは安全なところから腕を組んで見ているだけ。

正直、「自分の家が心配なら自分もするべきことをすれば良いのに…」と思ってしまいました。そして、何よりも自分の事だけを考える言動に人間の卑しさみたいなものを強く感じました。

 

こちらの作業がひと段落すると、次は未避難者への声掛けを行います。

危険水域の付近に住んでいる方たちの家をすべて訪問し、避難所への避難を促します。

 

何しに来たんだお前ら?こっちはこれから寝るところだったんだぞ!

これで俺が避難して家がダメになったらお前ら責任とれるのか?

 

等と引き続き心ない言葉をかけられます。あくまで避難は任意なのですが、避難指示がきちんと広報されていないと市役所の責任問題になってしまう可能性があるので、このようにしらみつぶしで訪問するしかないのです。

 

およそ2時間かけてすべての家を訪問しました。

そんな感じで、ヘロヘロになりながら帰宅。正直、自分の家のことを気にする暇もありませんでしたが、それなりに被害はあります。

幸い浸水するほど被害はない地域だったのですが、停電と断水が続いており、妻が暗い部屋で心細そうにしていました。心がギュッとなったのを覚えています。

 

最後に避難所の対応。上記の対応から1日空いて再び動員がかかります。

すでに、災害対応は行っていて自分の仕事も溜まっていたので、動員は勘弁してほしいと伝えたのですが、人が足りないとの理由で派遣されます。

避難所には基本的に職員も泊まり込み。私は避難者の受付や食事の配布を行います。

避難者の対応をしていると

 

ロクな食い物がねぇな。市役所の奴らがどうしてもというから避難してやったんだぞ。少しは気ぃ使えや

お前らが来ているコート寄こせ!寒いんだよ

 

などと案の定心ない言葉をかけられます。

なんとか心を無にしながら8時間従事し、帰宅。泥のように眠りました

 

私は、この一連の出来事を通して色々なことを考えました。

 

この人達は、自分の命がかかっているのになんでこんなに他人事でいられるんだろう?これでこの人達が亡くなったら市の責任になるの?市役所職員を奴隷か何かと思っているのだろうか?不思議で仕方ありませんでした。

 

確かに我々市役所職員は市民の安全を守る事が仕事です。ですが、自分の事は可能な限り自分で考え行動するのが当たり前ではないかと思います。

 

市役所で働く以上、市民のために奉仕をする心を少なからず持って働いてきた私ですが、「こんな人たちのために、身を削って働く必要があるのだろうか?」という考えが浮かんできました。

市民と言っても色々な方がいますし、もちろん業務を通してよい出会いもあったりしました。市民のために働くことは悪いことではありません。

仕事が充実していたら、「こんなヤバいことがあったよ!」と酒の席で笑い話にしていたかもしれません。

 

ただ、日常の業務で疲弊し、メンタルが落ち込んでいることもあって、この災害対応をきっかけに、心の支えであった何かがポッキリと折れてしまったのを感じました。

そして、今回の災害対応に限らず、今まで市民の方達から受けた理不尽な出来事が頭の中から離れなくなってしまいます。

最終的に、「この職場での労力を100%自分の為に使った方が有意義じゃないか?」そのように考えるようになりました。

 

そして、災害対応が終わってから2週間後、私は転職活動を開始しました。

 

続く